ケニアで外務大臣に会う!
この一週間、ブログを書く時間もないほどハードなスケジュールでした。週の頭にユネスコの東アフリカ地域全体のICTアドバイザと会い、彼らも我々がKisumuを訪問するのに同行するというところまではびっくりしなかったのですが、その前日になんとケニアの外務大臣ラファエル・トゥドゥ氏(写真右から2人目)も一緒に行くことになったと言われたのです。ユネスコが始めたCommunity Multimedia Center(CMC)がKisumu空港から30分ほど離れたBondoという地区が大臣の出身地だそうです。在ケニアのドイツ大使も一緒にこのBondoを一日中見て周りました。途中の道はまるでサファリに来ているようなでこぼこ道で、後部座席に私、高崎、ユネスコの人と3人が乗って頭と肩をがんがん天井や側面にぶつけながらすごい砂埃の旅路。
ここはケニアでもHIVの感染が最も多い地区で、40%の人が陽性だそうです。学校も見ました。一つは電気もなく、壁も穴だらけ、下は土です。日本のODAで作られた学校も見ました。そこはちゃんと屋根もあって雨漏りもなく、黒板も2枚もある。(これがすごいと感じられる環境です。)夏休みなのに先生がボランティアで補習授業をしていて、50人ぐらいの子供たちがいました。大臣がこの中で養子になっている子は何人?(両親ともなくなり、孤児になったということ)との質問に1/3の子供の手があがります。そして訪れたコミュニティではたくさんのHIV未亡人が幼い子供を抱いていますが、男手が足りず壁も屋根も穴だらけで奥の部屋ではまだ10代半ばの女の子が咳き込んでいて、HIVが発症してしまったと聞きました。その一家を支えているのはおばあさん。食べものはプラスチックのボウルに枝豆みたいな色をした練ったものだけ。ドイツ大使がお肉最近いつ食べましたか?の質問にみんなげらげら笑って、そんなの覚えてないよって。
この大臣、自分の給与から学校に通う孤児の子供の給食費とか払っていたり、本当にいろんなことをしている。地元還元という言葉があるが、政治家って自分の育ったところがこういうところだったとき、それをどうにかしたいと思うのが実は原点なのだと感じました。そしてODAってこのケニアではかなりみんなに役立っている。この学校がなければ学校にはいってなかった。という一言。我々日本のODAがこの子供たちにチャンスを与えてくれているのを見れました。
まだ書きたいことがありますが、また後日にします。
投稿者 yumi | 8. 一般